事実に基けば、見えてくるものがある

一つ目の事実は、誰も自分がどこにいるのかを知らずに生活しているということ。自分の身体の居場所だけは知っているのですが、自分自身の居場所は分からないのです。

二つ目の事実は、生まれてから一度も自分を直接見たことがないということ。鏡や映像の中の自分の姿は見たことがあるのですが…。

三つ目の事実は、自分が自分自身であるために必要なものとは意識であって、それ以外は全て属性(ただのデータ)であるということ。

四つ目の事実は、その意識というのは大きさも形も位置も何もなく、ただ気づいているということ。そのため、個人的なものではなく、非存在であるということ。

以上の事実から伺い知れることは、個人という単位で私たちが存在しているわけではないということ。あなたが個人でなければ、あなたが見ている他人も個人ではない。

つまり、私たちに居場所というものはなく、どこにもいないということは無であり、同様にして遍在しているということ。それが唯一無二の意識なのですね。

その結果、私たちの本質である意識は誰かに見られる存在ではなく、逆にただ見ることだけがあるのです。

しかも私たち意識が眺めている全ての存在は、その意識という空間の中に起きては消えていくということ。つまり外側とか内側というものはないのです。

こうした事実は、どうも胡散臭いことのように捉えられてしまうかもしれませんが、それは幼い頃にお前は個人だと洗脳されたことがこびりついているからです。

幼い頃の洗脳はひどく頑丈で簡単には壊れそうにありませんので、少しずつ目の前に提示されている事実に素直に目を向け続ける必要がありそうです。