新鮮な気づき

生きる目的は人によって様々だと思うのですが、私の場合は「自分の本質とは何か?」に気づくこと以外にはないなあと思っています。

多くの人にとって、自分とは肉体を持った1人の人間(個人)であると信じているわけですが、それは単に自我のことを自分だと思い込んでいるのだと。

だとすれば、自我の正体を見破ることができれば、自ずと自分の本当の姿が見えてくるはずという理屈になります。

何らかの修行を積むなりして、自我が崩壊してくれれば覚醒して、自分の本質に戻ることになり、その後はブッダや osho のようになるのだと思っていました。

もちろん今でもそれは変わらないのですが、その見方というのはあくまでも他者目線でしかなかったということに最近気付いたのです。

あくまでも一人称で見た場合、自我がどうのこうのと言う前に、そもそも今までに一度たりとも自分を生で見たことがなかったと気付いたのです。

他人を見るように、自分を見つけられた試しがないのです。鏡に映った姿や写真などはあくまでも偽物です。

本物の自分はと言うと、やはり見ることはできないのです。知覚することが存在を起こすという現代物理学の理論からすれば、知覚の対象とは成り得ない自分はやはり存在しないのです。

一人称の立場からすれば、自分が見ている世界には自分は存在しないのです。これは自我の問題とはまるで別の話です。

これまで自我にばかり目が奪われていたので、この新発見は自分としてはとても新鮮なのですが、皆さんはいかがでしょうか?