自我は生まれて死ぬが、意識は永遠

日頃から自分とは大体こんな奴だと知って生活しているのですが、厳密に見ると自分自身と自分の属性とがゴッチャになっているのです。

自分の属性を一つひとつ脇に置いていく作業をしてみてください。例えば、自分の性別、年齢、名前、国籍、身体、外見、性格、境遇、記憶、考え等々。

こう言ったものは全部自分自身ではなく、自分の属性と思って間違いありません。感情だって自分自身ではありませんね。

そうした属性を全部脇に置いて残ったものこそが、自分自身だと言えるわけですが、残ったものとは何でしょうか?

自分が存続するために残っているものとは?それは意識なのです。意識を切り離してしまったら、もう自分はいなくなってしまうはず。

ところが、ここで非常に厄介なことに気づくのです。つまり自分自身だと思っていた意識には、どんな個人的な印も付いてはいないのです。

要するに、自分である意識とは個人のものではなかったということ。意識には大きさも位置も何一つないのです。時間すらありません。

意識が生まれたり消えたりすることがないので、唯一無二のものだと分かります。となると、私の意識はあなたの意識でもあるのです。

そもそも私の…とはもう言えないのです。その意識とは、見ることです。ただ見ること、気づいていること。

それが意識であり、私たちの本質なのです。自我は生まれて死にゆく哀れなものですが、意識は永遠なのですね。