自分は人間ではない

ブッダにしても、osho にしても、その他多くの賢人や悟りを開いた人たちが歴史上沢山いるのに、誰も直接的には言わない言葉があります。

それは、「私たちは人間ではない!」なのです。そういう人々の誰もが言葉を選んで婉曲にそのことを表現しているのです。

それが私にはとても不思議な感じがするのです。実際、私自身もこのブログでこの言葉を表現したことがほとんどなかったかもしれません。

けれども、もう周りくどい言い方をする必要などないかなと思うようになったので、今日は直接的な言い方をすることにしました。

敢えて言えば、本当にシンプルなことだと分かります。人間として生きているつもりになっているだけで、真実は違うのです。

何度も繰り返しますが、私たちは自分が思っているような人間ではないということ。確かに肉体があることは事実です。

その肉体の中には誰もいません。誰もその肉体の顔についている二つの目から外側の世界を見ているわけではないということです。

肉体の存在する場所とは、常に「ここ」なのです。それは場所ではなく、位置でもなくただ「ここ」しかないのです。

ここから自分自身である空間の中に起きつつある宇宙を眺めているのです。と、ここまで書いて気づいたことがあるのですが、やはりこういう表現はあまりいい気持ちがしませんね。

この内容を信じて欲しくて書いているのではなく、ただ自分自身で検証することしかないのです。私自身も検証を継続していくのみです。