もしもあなたが生まれたままの無邪気さを見失うことなく生きていれば、あるがままの自分でいられることになるのです。
一方で、自分に対してある種の理想を作ってしまったとしたら、常に自分をその理想に向けて矯正し続けなければならなくなるのです。
それは途方もなく困難な人生を生きねばならないのは明らかですね。そのままのあなたが、あなたが作った理想とはかけ離れているに違いないからです。
どれほど頑張ったところでその溝が埋まることはありません。その無意味で絶望的な頑張りには、それこそたくさんのやり方があるのです。
ある人は、どこからどう突いたところで正しい人と思われるように頑張るのです。清廉潔白を目指し、それによって罪悪感から逃れようとするわけです。
またある人は、誰よりも抜きん出た才能や実績を残すことに命をかけようとするのです。そうして特別な自分であろうとするのです。
どんな努力であれ、作り上げた理想とやらに向けた虚しい気違いじみた努力が延々と続いていくことになるのです。
なんて哀れで、悲しい人生でしょう。自分に対して理想を掲げてしまうとそうした人生が待っているのです。
寸分違わぬあなたのままで全体性は充分に満足しているのです。そのことに少しでも早く気づくことが清々しい毎日を生きるカギとなるでしょうね。
どんなに不自然な自分であっても自己否定があってもいいんだと言うことですか?不完全以外に、自我の影響での不健康さがあるので気になりました。
そしてもう一つお聞きたいです。
ルシッドのセッションで遠隔でも可能なセッションはありますか❓
> どんなに不自然な自分であっても自己否定があってもいいんだと言うことですか?
はい、その通りです。もっと正確には、いいとか悪いということではないということ。自己否定は当然の結果として生まれるものだし、その結果不自然な生き方がやってくるのですから。
> 不完全以外に、自我の影響での不健康さがあるので気になりました。
不健康さも当然の結果であることを理解することです。
> そしてもう一つお聞きたいです。
> ルシッドのセッションで遠隔でも可能なセッションはありますか❓
カウンセリングのセッションが一番やりやすいです。LINE or ZOOM or Skype などが使えます。
なるほど。不自然なことは仕方ない結果だと納得できました。
「とりたてて他人に話すようなことのない人生でいい」と書かれていた大澤さんのこの言葉が大好きで思い出す度にほっこりします。
セッションの事もありがとうございました!