ただ見守ること

このブログでお伝えしてきたことは沢山あるようにも見えるのですが、究極的にはたった一つだけだとも言えるのです。

それはただ見守ること。これですね。自分のマインドの中にやってくる煙幕のような思考、あるいは襲いかかってくる感情を見守ることです。

すると、思考や感情といったお決まりのものではない新たな要因、つまりは見守る者としての自己を理解できるようになるのです。

この理解があなたを根本から変革してしまうことになるのです。これまでのあなたの毎日は、見られる者としての人生ばかりでした。

それが、見守る者としての毎日が大きくなってくるので、それまでとは全く異なる人生になってしまうのです。

自我の辛さは見られる側としての自分がいるからです。見られるとは判断される、裁かれる、否定されるということにつながるのです。

一方でただ見守るということは、そこにはどんな思考も入らないし、だからこそそこには自我の要素も入り込めないのです。

見守ることは意識的であることと同値です。常に気づいていることとも同じ。この練習を繰り返すことで、一人でに自我は力を失っていくことにもなるのですね。