昨日のブログの内容とセットで次の osho の言葉を味わってみてください。
『生というのは二重の旅だ。ひとつの旅は時間と空間のなかを進み、もうひとつの旅は自分自身と真理のなかをゆく。
最初の旅は死で終わり、ふたつ目の旅は不死で終わる。ふたつ目の旅こそ本物の旅だ。なぜなら、それはあなたをまぎれもなくどこかへ連れていってくれるから–』
自分を個人だと思い込んでいる自我にとっては、この3次元の世界、時間と空間の中を進んでいく旅をしているのです。
ただ漫然と生きているだけでは、人生の100%がそれだけになってしまいます。それが悪いということではないですが、その旅は死によって根こそぎにされてしまうのです。
一方でより高次元の世界、純粋な意識としての自己に気づくなら、その旅は肉体の死とは別に不死であることに気づくのです。
この二つの旅を同時に楽しむことができたら最高ですね。3次元の旅と高次元の旅、3次元の旅人は快不快、善悪、正不正のなかを進んでいくのです。
その旅を楽しみながらも、高次元の旅も同時に楽しむのです。そのためには、日々より意識的である工夫をすることです。
この二重生活、二重の旅を実践することを強く推奨します!
できるだけ意識的に自分の思考や感情を見るようにしているのですが、そうすると本心はどれなんだろうと思うようになりました。
どれもが自我に思えてきたりします。
何かを選択する時の自我と自分の本当の気持ちの見極め方はありますか?
本当の気持ちというのが何かによりますが、基本的には全部自我だと思って間違いないです。何かを選択するときに、なんの目的もなければ自我ではない可能性もありますが…。
私自身は、自我ではない時がないと思っています。敢えていえば、完全に無防備な時は自我ではないかも知れませんが、それは一瞬でしかないですね。
例えば簡単なことでいうと、お酒を飲みたいという思考が湧いてきた時に自我の罠の欲望なのか、本心なのかの見極めがわかりません。
起こることが起こると、その時の衝動(自然に選ぶ方向)に任せていればいいのでしょうか。
自我か意識か、来年も地道に続けていきたいと思います。
お酒を飲みたいというのは欲望じゃないですか?欲望を抑えようとするのも欲望です。それを見守っているのが意識ですね。
ありがとうございます。
納得です。
まだまだ初心者。
引き続き続けていきます。