鏡のようにあるがままを映し出す!?

思考から解放された純粋な心というのはただの鏡だ、と osho は伝えてくれているのですが、それがどうも長いことしっくりこないでいたのです。

つまり逆を言えば、自我に乗っ取られた私たちのマインドは、まるで歪んだ鏡のように周囲のものを映し出すということです。

鏡はその周囲にあるものをそのままに、あるがままに映し出すのですが、私たちの目、自我の目はそうではないということです。

確かに自我の目は観念というフィルタをかけてしか、ものを見ることができません。例えば今私がいる部屋の様子が目に写っているのですが、自分ではあるがままを見ているように思えます。

けれども、上を向けば天井があって、下を見れば床があって目の前には壁があってという具合に常に観念や概念が働いた結果を見ているのです。

目を大きく見開いたまま、何を見ているのか分からないという状態にならない限りは、鏡にはならないのですね。

分かってはいたのですが、あらためて見つめ直してみて何となくしっくりくるようになったようです。

だとしたら、マインドが鏡のようになるためには頭をごっそりそのまま無くしてしまうしかないのではないかと思われます。

あるとき、目の前のものを微細に明確に見ているのに、何を見ているのか全く分からないという不思議な夢を見たことがありました。

あれはきっと、観念や概念を司る脳の部分が眠ってしまった状態で夢を見たからそうなったのだろうと思っています。

自我が生きている状態で観念だけが落ちてしまうと、そんなもどかしい体験をすることになるのですね。