どれほど言葉を駆使したところで…

osho は言います。『私の言葉はたんなる容器にすぎない。それらは容れ物だ。中身はまったく違う。中身は正反対だ。容れ物は言葉だが、中身は言葉のない沈黙だ。

それは私の愛だ。言葉はただのカプセルにすぎない。カプセルは薬ではない。薬はそのなかにある。カプセルのことは忘れなさい、私を飲みなさい–。』

確かにそうですね。もしも月が真実ならば、思考はその月を指し示す指のようなものなので、どれほどその指ー言葉を吟味したところで真実は知れないのです。

ただし、真実を目の前にしてまるで幼い子供のような私たちは、苦い薬をそのまま飲むことを嫌うのです。

だからカプセルが必要となるのです。カプセルによって、薬の苦さを味わうことなく薬を服用できるのですから。

言葉(思考)というのは、そういった役目を果たすこともできるのです。私のこの拙いブログも言葉だけでできています。

だからどれほど言葉を駆使したところで、真実からはほど遠いのです。私自身も真実から程遠い自我として生きています。

それでも諦めずに、やっぱり今日も言葉を駆使してブログを書き続けるのは、きっとそういう人生なのですね。