最後の野心は健在

長いこと生きてきて、これまでで最も印象に残ったことは、この自分はいないということです。

それは勿論ただ情報として知ったということだけであって、実体験として知ったわけではなかったのです。

それでも、その衝撃は他のどんなことよりも凄まじく、そして大いなる希望として自分の中に定着したのです。

その後毎朝のように瞑想をしたり、絶えず意識的であることを訓練したりしていたのですが、自分の本質は自我ではないという知識に留まっていたのです。

それから数年後にたった一度だけ、その体験はやってきてくれました。どう説明しても曖昧な表現になってしまうのですが、ただ個人としての自分がいない体験をしたのです。

本当はその体験が起きただけであって、それを体験した自分などいないと分かっているのですが、自我は自分の体験にしてしまうのです。

その後はそうした明らかな体験はやって来なくなってしまったのですが、その代わりにその片鱗は絶えず感じるようになったのです。

ただし自我の騒音が大き過ぎて、自分の中の静寂がかき消されてしまうので、片鱗でしか味わえないのが残念。

まるでジェット機の爆音の中で、風鈴の音を聞き分けるような感じです。もう色々な野心がだいぶ消えていってくれたのですが、本質に戻りたいという野心だけは強く残っています。

その最後の野心が取れた時にこそ、本当の自分に戻ることができるのでしょうね。