無知であることに気づく

この世に悪などというものはありません。もちろん罪もないのですが、罪悪感はあります。自ら作り出してしまうだけですが。

悪がないばかりか、善もありません。あるのはどちらでもないという中間の状態だけです。もしも百歩譲って悪があるとしたら、それは無知のことです。

無知とは、真実を知らなすぎて勝手に夢のような世界で大騒ぎしていることです。ひどく苦しんでみたり、不安になったり、野心に満ちたり。

知らないというのは本当に恐ろしいことです。生をバカバカしいことの連続にしてしまうのは、真実に対する決定的な無知のせいなのです。

自我というのは、私たちのその無知を利用して生きるのです。無知であるがために、死を恐れ苦しみを恐れて防衛三昧になるのです。

それが思考を次から次へと働かせて、より一層の無知の中へと迷い込ませるのです。それが自我が生き延びるやり方なのです。

こうしたことは、親も学校でも誰も教えてくれません。無知が無知を育て続けるのですから、いつまで経っても地球上に無知が蔓延ったままなのです。

もうそろそろ、無知であることをしっかり見抜き、無知の中で生きるのをやめるためにどうしたらいいかを真剣に検討する必要があると思います。

やんわりと防衛を小さくしてゆき、少しの勇気をもって意識的になるように練習することです。結果は10年後、20年後に出るでしょうね。