愛の形をしているものの、その実中身は執着で出来ているということがとても沢山あるのです。だからドラマが成立するのですが…。
それを見るにつけバカバカしいと思ってしまうのですが、だからと言っておいそれと笑ったりすることはできません。
なぜなら渦中にいる人は、本気でそれを愛だと信じているのですから。そうなると、愛することは苦しいなんてことを言い出すわけです。
愛が苦しいというのがもうすでに原理的に破綻しています。ただ、執着は誰も幸せにならないので手放しましょうというのも変ですね。
なぜなら、手放せないことを執着と呼ぶのですから。そもそも手放せるのであれば、それはもう執着ではなくなってしまっています。
執着から離れるための第一歩は、当然ですがそれが執着であるということに気づくことです。その気づきがなければ、絶対その先へは進むことができません。
この気づきは冷静な理解があれば大丈夫。その全てが執着というのではなく、愛と執着が混ざった状態だと思えばいいのです。
その上で、執着の要素があるなということを理解するのです。執着心をじっくりと見つめてあげるのです。
それがいいとか悪いということではなく、ただそれが在ることを認めてあげるのです。その上で、執着のパワーがどこからやってくるのかを見るのです。
その必死さは、ターゲットから離れてしまったら生きていけないという思い。自分の命がかかっているからこそしがみつくのです。
そのしがみついている自分の様を見守ること。誰だって溺れかけている人は、浮いているものならどんなものにでもしがみつくのです。
それが当然だということを認めてあげれば、少しずつですが力を抜いても沈んでいかないことに気づくはずです。
執着心が小さくなってくると、どこか清々しい気持ちというのがやってくるので、それが執着から離れていくときのサインだと覚えておくといいですね。