自我を脇へ置く

日々いろいろな動画を観るのが習慣になっていて、その中でも科学的なもの、宇宙物理学や量子力学などの分野の難しそうな話題を分かりやすく解説しているものをよく観るのです。

とても興味深くて、様々な書籍の内容を簡潔にまとめてくれているので、自分でそういった本を読まなくていいので非常に助かりますね。

ただそのような動画を観ていて時々違和感を感じることがあるのですが、それは「意識」という言葉がかなり曖昧に使われていることです。

もっというと、脳によって意識は生じるものという前提があるように感じてしまうのですが、どうもその前提で研究が進められているようなのです。

私の感覚では意識は脳とは全く無縁な自分の本質であると受け取っているので、そこの違和感は非常に大きいのです。

意識についてはきっとこれまでのような科学的なアプローチでは解明することはできないと思っています。

自我の要素を全て脇に追いやってしまった後に残るもの、それが意識の感覚に一番近いのだろうと感じます。

例えば、自分は人間だ、を脇に置くのです。続けて、自分は肉体だ、自分は生物だ、自分は地球上で生きている、などを全て脇に置いていくのです。

そうしてもう自分について何も残っていない状態までいった時に、それでも残っているものこそが意識なのだろうなと。

それはただの無だし、この3次元の世界の中に存在するものではないと分かる気がします。これが科学で解明できないと思われる理由です。

普段は自我に乗っ取られていますが、こうしてゆっくりと自我を自分の中心から脇へ押しやることで、本質である意識として全てを見ることができる感じがしますね。

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