ジョーイ・ロットは、その著書「これのこと」の中で「気づいている活動性」(the activity of being aware)という表現を使っています。
それはさまざまな現れが起きては消えてを繰り返す様を表現しているのであって、固定した気づきだけがあるのではないということを強調するためなのではないかと。
現れとは、起きているように見えることの総称であり、それだけが明晰であって、それ以外を見つけることができないのは明白です。
現れの中には、「物質世界がある」という強烈で動かし難い思考も含まれるため、全ての現れはそれを前提として起きているように見えるのです。
他の言い方をするなら、物質世界は、あらゆる現れの影のようなものであるのですが、その影であるはずのものに絶対的なリアリティの感覚が起きているように感じるのです。
その中でも最も親しみを感じるのが、「私」という現れかもしれません。物質世界の中に産み落とされて、孤独に人生を生きる「私」という像。
壮大な人生ドラマが現れの中に展開され続けているのですが、これが単なる現れに過ぎないと気づく現れがいつ起きるのかは、神のみぞ知るということですね。

