無邪気さと深刻さというのは、どうやっても共存することはできません。無邪気さは深刻さとは無縁だし、深刻さは無邪気さを隠してしまうのです。
人生の中で、この二つの要素のどちらが大切かははっきりしていますね。無邪気さが宝であり、深刻さは防衛からくるのです。
自我が無邪気であった試しはありません。なぜなら、自我の本分は防衛だからです。防衛のエネルギー源は恐怖であり、そこに愛はないのです。
一方で無邪気さは別の言葉で言えば無防備ということになるので、そこに自我の存在が入り込む余地はないのです。
気がついたら、自分の中に無邪気さを見つけることができなくなってしまったという人はたくさんいるのです。
その上、無邪気さを見失ってしまったということすら気づいていないものです。人に言われて初めて、そう言えば無邪気さをなくしてしまったと気づくのです。
そんな場合には、間違いなく毎日の生活に深刻さが漂っているのです。無邪気さの特徴である気楽さとか、明るさが消えてしまうのです。
あなたの中にある、この二つの要素をじっくり見てあげて下さい。そして出来る限り、深刻さを排除して無邪気さをたくさん使えるようにしていくことですね。