「降参」の意味

曖昧な記憶なのですが、幼いときにいろいろな童話や昔話のようなものを、絵本で読んで聞かせてもらったりしたことがあったと思うのです。

そうした物語には、大抵正義の味方と悪者の対立があって、最後には悪は戦いに負けて降参して逃げて行くという筋書きがありました。

例えば、、桃太郎にやられて降参した鬼とかね。この「降参」という言葉は、幼いころに何度も聞かされた特徴的な響きを持った言葉だという印象を持っています。

ところが、大人になって降参という言葉はほとんど使わなくなってしまいました。それはきっと、降参するのは悪者であって、しかも弱くてカッコ悪い者の代名詞のような雰囲気があるからなのでしょうね。

子供とじゃれ合っているときに、「パパはもう降参だよ!」という具合にはもしかしたら使ったことがあったかもしれませんが、真剣な場面で降参という言葉は禁句なのでしょう。

それは、戦いに敗れた、しかも完敗を意味する言葉なので、人生は戦いだとばかりに急き立て続けねばならない自我としては、非常に都合の悪い言葉なのかもしれません。

けれども、この降参という言葉には、戦いに敗れて服従するという意味合いとは裏腹に、もっと清々しい精神状態になる種子のようなものを感じることもできるのです。

実際、降参という意味の英単語は、surrender ですが、この単語には明け渡すという意味もあるのですから。降参には、戦いをやめてすべてを受け入れるという意味合いがあるのですね。

そういう意味では、降参は、観念することでもあるし、明け渡すことでもあり、また委ねるという意味合いとしても使っていいのかもしれません。

幼い大切な時期に、敗れて服従するという意味での降参ばかりを教え込まれたことは、自我に乗っ取られた大人やこの社会が、無意識の悪意を持って洗脳しようとしていたことをうかがい知ることができます。

つまり、お前は降参したらもうお終いになるぞ!といったような恐怖の植えつけです。すべては自我(エゴ)の策略だったわけですね。

まずは、自分から戦いをやめて降参する人生へと変えていくことだと思っています。それこそが、自分と世界のすべての救いに繋がることだからです。