心を受容的にして待つ

私たちは、幼いころからずっと、自分のままでいてはいけないのだということを、いやっと言うほど強制的に教え込まれて育っていくのです。

私たちはそうした教えを次第に受け入れるようになり、自分のままでいることを封じ込めてしまうのです。そうやって、生き延びるために自我(エゴ)と取引をするようになるのです。

その自我の教育とは、戦って勝ち抜くために努力せよ!ということです。努力といっても、単に頑張るというよりもひどく我慢し続けるというニュアンスだと思って下さい。

そうした自我の洗脳に深くコントロールされてしまえば、それだけ人生が苦悩に満ちたものになってしまうのは、当然の結果なのですね。

けれども、私たちにとって真に大切なことは、実はほとんどが努力や我慢では成し得ることができないことだということに着目する必要があるのです。

あなたは寝る準備はできますが、あなたの意志や努力で寝入るということができないことを知っています。寝る準備が整ったら、後は睡眠がやってくるのをただひたすら待つのみです。

努力や頑張りで、誰かを愛することができないのも明白です。同様にして、意志の力で何かに感謝するということも不可能なことですね。

愛は勝手に起きるのですから。感謝もどこかからやってくるのです。私は、感謝が洪水のように降ってきたと感じる経験をしたことがあります。その時、自分の意志など、何の関係もありませんでした。

本当は癒しも同じなのです。クライアントさんには、このように実践してみて下さいとお伝えしますし、それは確かに効果があると思っているのですが、癒しそのものはやはりやって来るものなのです。

努力と意志の力で勝ち取ることはできません。そのことに気づくことは、とても大切なことなのです。そうでなければ、癒しそのものが自我の罠となってしまうからです。

真に大切なことは、努力や意志ではなくて、心を受容的にして待つことです。そして、それは起きるときには起きてくるのですから。