確信を放棄する

もしも、あなたが自分の感覚は、かなり正常だと思っていたり、自分は理性的でいつも正しいに違いないと確信しているのなら、それは危険信号なのです。

物事をどれだけ知っているかということが、その人の成熟度の高さだというように考えがちですが、本当のところはそうでもありません。

何かに確信しているということは、とても安心できるので 都合がいいのですが、そこにはほとんど大切な気づきを得るチャンスが残されていないと思うのです。

無知な人ほど、自分の知識を誇るものです。自分はこれだけのことを知っている、このことは完全に理解できているという確信は、それが強いほど無知であるという印なのです。

マインドを落とせば、自分は実際何も知らなかったということに気づくはずだからです。どんなことでも、ある道を究めたような人は、決して確信などしていないはずです。

本質的なこととは、限りがありません。どこまで言っても未成熟であり、不完全なままなのです。今、私たちに本当に必要なことは、これまで培ってきた知識や常識などを一旦脇に置くことです。

自分が生きるための拠り所としてきたものや、信念、信条などを一通り見て、それらの枠に捉われずに生きることができるなら、とてつもなく大きな気づきがやってくるはずです。

なぜなら、それらを私たちに植えつけたのは他でもない親やこの社会の影の存在であるエゴの力だったからです。エゴに洗脳された代償はとても大きいものです。

癒しを進めるにあたって、これだけは是非分かっていて欲しいのですが、それはあなたの確信が揺れ動き、心が混乱するならば、大きなチャンスがやってきているということです。

自信もいりません。私たちの自信は、確信からやってくるものですし、マインドが静まったときには、自信があるとかないということに、関心がなくなってしまいます。

あなたのマインドの中にある、自分は努力して欲しいものを勝ち取れば、必ず幸せになれるという確信を放棄してください。それを持ったままの癒しは形だけの癒しであって、エゴの思う壺になってしまうからです。