見られる対象としての自分

自覚が正しければ、私自身 HSP の端くれとして生きてきたように思うのです。端くれの使い方が間違っていますが、気にしないでね。

HSP とは、Highly Sensitive Person のことでつまりは超繊細な人、超過敏タイプのことを言うのですが、クライアントさんの多くがこのタイプです。

HSP の何が辛いかって勿論色々あり過ぎるのですが、それでもメインとなるのは人の気持ちや行動、結果として身近にいる人の存在が物凄く気になるのです。

だからいちいち周囲の人たちのことに反応してしまう面倒を感じて生きているのです。それをやめようにも、やめることができない苦しみ。

それがひどくなってくると、たとえ一人きりでいたとしても誰かのことを気にすることが止まらなくなって、安らぐことができなくなるのです。

幸いにも私の場合は、周囲に人がいない状態であれば突如として瞑想に近い状態になれるので、自分を見失うということはありませんでした。

だから私にとっては寂しさもある反面、一人でいる時間と空間が物凄く大切で、それをなくしてしまうくらいなら、人生に興味を失うでしょうね。

HSP の人の苦しみは、例えば透明人間になって他人から見られることがなくなれば、あっという間に消えてしまうはずです。

街を歩いていて、自分の姿が他人から見えないことを想像してみれば分かります。身体のどこにも緊張がなくなるのを感じるはずです。

ところで透明人間になることは不可能っぽいですが、どんな状況下であれ他人から見られることがなくなる方法が一つだけあるのです。

そうなったらどれほど敏感なあなたでも、悠々とした毎日を過ごすことができるのです。夢のようじゃないでしょうか?

それは個人という自分などいないと見抜くこと。つまりは覚醒することです。自我が消えれば見られる対象としての自分はいなくなるのです。

そうなったら誰と視線が合ってもびくともしないでいられるのです。同時に人生物語もなくなってしまいますが、不安や恐怖も消えてしまうでしょう。

私の身に覚醒状態が続くようになったら、真っ先にこのブログでみなさんにご報告しますが、期待せずに待っていてくださいね。