結果ではなく原因を見る

映画やテレビを観るとき、それは制作された成果物を観て楽しんでいるわけです。生み出す人々の苦労を知らずに、良い映画だったとか、詰まらない映画だったとか言うのです。

クルマの運転を楽しむときも、製造された成果物としてのクルマを楽しんでいるのです。つまり、因果を考えたときには結果の方だけを体験しているのです。

けれども、映画が好き過ぎてそれがどのようにして作り出されるのかに興味が行ってしまう人もいますね。つまり、因果の原因の方を見たいと思うのです。

クルマが好き過ぎてクルマの会社に入る人もいるでしょうね。エンジンの設計をしたり、シャシーの開発をするかもしれません。

それも因果で言うと原因の方に意識が向くということです。私が思うに、結果の方を楽しむ人は一般的なレベルで興味がある場合です。

一方で原因の方を楽しめる人というのは、より強い興味を持った人の場合なのでしょう。そして後者の人の方が、対象とより深い関わりを持つはずです。

何かの専門家というのは、概ね結果よりも原因の方に携わっているのです。たとえば、セラピストという専門家はうつ症状が何かの結果だということを知っています。

つまりセラピストは人のマインドの仕組みに対して深い興味を持っているので、うつ症状の結果よりも原因に対して断然興味があるのです。

うつ症状の原因は「嫌だ!」という怒りのエネルギーを溜め過ぎてしまったことなのですが、多くの人はうつ状態という結果ばかりを見て困り果てるのです。

これは私の個人的な意見ですが、人間として生きている限りはマインドの専門家になった方が絶対的にお得です。

マインドが作り出す喜怒哀楽や病的な症状などの結果ばかりを見て、右往左往するのは賢くありません。

誰もがマインドのプロになって、興味を持って原因を見つめることができれば、世界のあり方が大きく変わってしまうかもしれません。