気づくための二つの方法

本質的には、この生にどんな目的も意味もありません。到達すべき目的地などないということです。あるのは、ただそれに気づくことだけ。

気づくのに大きくは二通りの方法があるように思っています。その一つは、とことん生きること。

それが何であれとことんやり尽くすことです。幼い無邪気な子供がやるように、笑うにしても怒るにしても、泣くにしても徹底的にやるのです。

仕事でも遊びでもどんなことでも、限界までやったので後はもうどうでもいいというところまでいくと、自我は自然と次の目的を持つことができなくなるのです。

この方法が失敗しないためには、やりたいことをやるということに徹することです。そこに防衛による自己犠牲があっては、やり尽くすことができなくなるからです。

そして気づくためのもう一つの方法は、この生に絶望することです。それも徹底的に絶望して、未来の望みや期待を持てない状態になることです。

人が本当に諦め切ったとき、自我は自然と落ちていくことになるのでしょうね。どちらを選ぶかはあなたの自由だし、今回は選ばなくてもいつかはどちらかの道を行くことになると思います。