プロセスを楽しむ

筋トレをコツコツ地道に続けていると、少しずつですがそれなりに筋肉がついてきます。こうなることで、初めて本格的な筋トレができる身体になるのです。

逆に何かの理由でしばらく休んでしまうと、筋肉が落ちてきてしまい、筋肉を鍛えることができなくなってしまうのです。

これは経験した人にしか分からないかも知れません。筋肉がない状態では、筋肉を鍛えるようなトレーニングをするまでに至らないということです。

筋肉をいじめてあげて、それで筋肉が何クソとなってようやく今以上の筋肉へと進化するのですが、筋肉がなければ、筋肉をいじめることすらできないということです。

何となくイメージができたでしょうか?それとだいぶ毛色は違いますが、瞑想についても似たようなことが言えるのではないかと。

要するに、瞑想がしっかりできるようになるためには、瞑想のための精神的な筋肉を付ける必要があるのです。

瞑想のための筋肉がない状態では、なかなか瞑想をしたところでその効果を感じることは難しいのです。

さりとて何もしなければ、いつまで経っても瞑想の筋肉は付いてはくれません。瞑想をするためには、瞑想のための筋肉がしっかりついている必要があるということです。

そうなって初めて、深い瞑想ができるようになるのです。こういったジレンマは、多くのことに共通して言えることなのかも知れませんね。

このジレンマを乗り越えるためには、それ自身を楽しむ気持ち、そのプロセスを楽しむ気持ちが絶対的に必要なのでしょう。

楽器を演奏できるようになるのもそうだし、英会話を上達させるのも同じように、楽しむ気持ちがあることで明日またやりたいと思えるわけです。

そうやって、とにかくプロセス自体を楽しみながら進めていくうちに、気がついた時にはそれなりの筋肉がついていて、そこからは自動的に勝手に進み始めてくれるということなのですね。