自我とは、精神活動のプロセス

昨日のブログで、二元性というのは思考が創り出した幻想の世界だと表現してもいいのではないかということを書きました。

ということは、生と死というのも二元性を意味しているので、幻想であるということが言えそうですね。

生と死が幻想ってどういう意味?と思うかもしれませんが、要するにどちらも実在するものではないということです。

私たちは、生きているか死んでいるかのどちらかしかないと思い込んでいるのですが、本当はそのどちらでもないし、またそのどちらも含んでいるということです。

私たちの本当の姿は、存在であって生きたり死んだりするようなものではないということです。存在は存在でしかない、存在に対して生死のようなペアはないということ。

これが非二元の世界ですね。我々は思考によって、存在に対して非存在のような不可思議な概念を作り出すことはできますが、それはまやかしです。

私たちのこの物質世界に対して、高次の世界を非物質の世界などとも呼べるのですが、これも思考が作り出したもの。

非物質の世界とはただ単に物質世界よりも波動が高いというだけです。物質、非物質といった捉え方、分け方をする必要はないのです。

このように二元性の世界に慣れ親しんできた私たちにとっては、それが当たり前のように感じられるだけだということですね。

二元性という幻想の世界で死ぬことができるのは、自我だけです。それは自我そのものが存在ではないからです。それは精神活動というプロセスに過ぎないのですから。