手段を楽しめるなら、目標設定もあり

過去何度となく書いていることですが、目標を設定してそれを達成しようとする時、目標は未来にあり、それを達成するための手段は現在にあるのです。

私はそれを便宜上「仕事」と呼んでいます。一方で、手段がそのまま目的になっている場合があるのですが、それを「遊び」と呼ぶことにしています。

例えば、幼い子供が折り紙を覚えて、楽しみながらツルを折っているのは、「遊び」と言えるのです。

なぜなら、ツルを折ることが手段であると同時に、それ自体が目的でもあるからです。この場合の目的は、未来にはありません。

だから物凄く楽しいし、嬉しい気持ちになれるのです。この状態はとても波動が高いだろうと予想できますね。

逆に、未来にある目標を実現するために、場合によっては現在を犠牲にしてまで、我慢しつつ手段を継続するのであれば、それはもう本末転倒なのです。

当然のこと、波動はダダ下がりになってしまうはず。ただし、手段と目標が別々だからなんでも良くないというわけでもありません。

未来の目標を達成するための手段自体を、それなりに楽しめるというのであれば、それはそれで素晴らしいことです。

ただし、手段としてのプロセスの成果が、目標到達に見合ったものになっているかを不安に感じるようですと、やはり波動が下がることになるでしょうね。

「仕事」であろうと「遊び」であろうと、手段を楽しむことができるのであれば、どちらでも構わないということです。

そして手段は常に、今現在にあるので、結局今この瞬間を楽しんでいられるかどうかが最も大切なことだということですね。