やりたいことが見つからなくても大丈夫

他人と対立したり、争ったりすることを嫌うあまりに、いつでも相手を優先してしまって、奴隷のように生きてきてしまったという人は大勢いるのです。

それはもちろん、幼い頃の親との関係性が大きく影響しているわけで、本人が自覚的にそういう生き方を選んだわけではないのです。

幼い子供が無意識的に自分を守ろうとして、苦肉の策として自動的にやり出したことなのです。その結果、大人になっても自分が何者で、何をしたいと思っているのかなどが分からなくなってしまうのですね。

私自身は、かなり自由に生きてきたはずなのですが、幼い頃からやりたいことが特別ないという自分に気づいていて、それなりに困ったなあと思っていたのです。

だから、自分が何をしたいか分からない、というクライアントさんの気持ちが当たり前のように普通に分かってしまうのです。

私が私なりにたどり着いた道は、何をしたいのか分からなくても大丈夫ということ。必要以上に焦ったり、むやみやたらに手当たり次第に興味を感じないことに手を出したりしなくて良いということ。

何にも特に魅力を感じないのであれば、それはそれで良いということ。そこを問題視する必要はないのだとはっきり分かってあげることです。

「ワクワクすることをやっていますか?」などと言われて、何をしていいのか見当もつかないと落胆する必要などないということです。

今のその自分をそのままに受け止めてあげることのほうが、余程大切なことなのです。他人と自分を比べることをやめるのです。

どんな自分でもOKを出してあげられるなら、いずれは必要なことが必要なタイミングであなたのところにやってくるはずです。

そしてそれが、予想していたようなことではない可能性もあるのです。他人からは気づかれることがないくらいに、目立たぬ内面に関わるようなことであるかもしれません。

どんなあなたであれ、上の方にいるもう一方のあなたの片割れが、深い受容のなかで地上のあなたを優しく見守ってくれていることを忘れないことですね。