ストーリーを語りたい衝動

愚痴を聞いてもらって、すっきりしたということはよく聞く話しですね。そして、愚痴を言い続ける限り、人生において何も改善されるはずがないということもよく言われますね。

常に愚痴っぽい人というのは大抵が被害者の意識になってしまっているということが言えると思います。その被害者ぶりを誰かに訴えたくて仕方ないのです。

それは実のところ、幼いころに家族や親からひどい目に遭って、それを分かってもらえてないという不満から来ていると考えられます。

あなたがこれまでの人生でどんな生活をしてきたか、被害者の立場から言い換えれば、どんな生活を強いられてきたのか、それを訴えたい気持ちがあるとすれば、その分だけ幸せは遠のくと思って間違いありません。

自分の心の中に不満を訴えたいという気持ちがあるということ自体は、悪いことでも何でもありません。ごく普通のことだとも言えます。

しかし、そうした気持ちに乗っ取られて毎日を生きているとしたら、それはいい悪いの問題ではなくて、単に満たされることは絶対にないということです。

自分の気持ちを正直に見つめてみたときに、あなたは自分の人生というストーリーを語りたいという欲求を見つけることができますか?

もしもそうした思いを見い出すことができたなら、それをいつも監視して決してそれに巻き込まれないようにしておくことです。

なぜなら、ストーリーとはすべてが過去であることを考えれば、その思いに巻き込まれてしまえばあなたが過去に生きていることになるからです。

過去とは、挫折と苦悩と後悔と罪悪感の巣窟です。せっかく唯一愛を感じることができる今に在るあなたを過去からやってきて、乗っ取ろうとするのがそうした被害者の意識なのです。

被害者であると信じることで、罪悪感などの苦しみから一時的に逃れることができると思っているのです。それこそが、被害者としてのメリットなのです。

文句を言える立場というのは、甘味なものです。それを決して奪われたくないばっかりに、いつも辛い被害者の人生を生き続けることを選んでしまうのです。

もしも、あなたが自分のストーリーを語りたい衝動を感じたら、それをただそのままにしておくことです。それと闘わずにさりとてそれを否定もせずに、ただただそれを見てあげることです。

そこでやってくる痛みと共にいてあげるのです。ストーリーがどんなに悲惨であっても、どれほど過酷なものでも、ありえないほど理不尽であろうと、それはただのストーリーでしかないのですから。

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