降参→自我消滅→愛

osho が云います。流れと闘う必要はないと。ただそれに従い、それと共に浮き漂えばいいと。川に身を任せてごらん。降参しなさい。愛とは降参することだと。

ぼんやりとこの言葉を聞いているだけでは、良さげな事に聞こえるだけで、なぜそうなのかを理解することはできません。

云っている内容は簡単ですが、それを実践するとなるととてつもなく難しいのです。それは自我が抵抗をするからですね。

流れと闘う必要がないと言われても、自我にとっては闘うことは生きるためには絶対的に必要なことだからです。

川に身を任せてしまったりしたら、自我は不安になって自分を保つことができなくなると思っているのです。

降参などとんでもない。負けを認めてしまったら、相手に搾取されるだけだと。なぜ愛は降参することだとまでいうのか?

自我という個人は本当の愛を知りようがないのです。本当の愛は、自分はいないということと同じことです。

自他が消えた時に初めて、愛の状態になるのです。降参して闘うことを放棄した時に初めて、自我が消えてその結果として愛がやってくるのですから。

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