自分は単なる媒体

私は、神という言葉に何か特別な印象を持っているわけではないので、ずっと神の存在を信じていると誰かが言っているのを聞くと、ちょっと違和感があるのです。

ただそこに否定する気持ちは全くないし、神に対してどのような概念や心象を持っていたとしても、それは個人的なものであると思っています。

神という言葉を使う代わりに、全体性とか存在などといった表現の方が身近な感じがするのは、擬人化できないからだろうなと。

神を神様のように擬人化してしまうと、途端に幼稚な発想に感じてしまうのが自分には合わないということですね。

一方でこの世界、この宇宙はすべからく神の顕れであるとする感覚も持っています。自分は神の出先機関なんだなというあの感覚。

自分の人生を通してあらゆる現象が起きるけれど、私が経験しているというよりも私は単なる媒体であり、私を通して神が経験している?

こんな感覚を持っている人は意外に多いのではないかと思っていますが、皆さんはいかがでしょうか?

自我にとってはこの手の話しは苦手なのでしょうけれど、罪悪感や自己嫌悪に喘いでいる人にとっては自分はただの媒体だというのは朗報なのではないかと。

媒体ということはどんな責任もないし、もちろんどんな賞賛される成果もありません。その軽さを味わってみることをお勧めします。