起きていることに意味はない

私たちの周りで起きていること、あるいは自分自身の身に起きること、そのどちらにしてもそれそのものにはどんな意味もないということ。

これ、実はとてつもなく大事なことなのです。起きていることは、ただ起きているだけであって、それに意味づけをしてしまうのは私たちの側なのです。

繰り返しますが、この世界、この宇宙に意味というものはないのです。意味というのは、意味づけをした本人の頭の中にこそあるのです。

ところが、普段の生活でそんなことは忘れてしまって、起きていることを体験した瞬間に、あらゆる判断、解釈をしてその結果を受け取ってしまうのです。

その判断の仕方は、各人がどんな信念やルールを持っているかによるのですが、その作業があまりにも瞬間芸に近いので、自分で気づくことができないのです。

例えば先日私が経験したことなのですが、自宅からクルマで出かけると必ず通らなければならない踏切があるのです。

それがたまに「開かずの踏切」状態になることがあって、狭いまっすぐな道路にクルマが数珠繋ぎになって、バックもできず、いつ解放されるとも知れずに、結構イライラさせられるのです。

その日も、ある場所に決まった時間に行かなければならなくて、踏切が開いていてくれればいいなと祈るような思いで向かったのですが、行ってみると案の定、久々の長蛇の列。

これまでの経験からすると、ここを抜け出すのに10分〜15分は優にかかってしまうなと。ああ、やってしまった!少し早めに出たのにこれじゃあ絶対に遅れてしまう。

こんな状況であっても、実はそれ自体にはどんな意味もないわけです。ただ自分の中では、運が悪いなあ、困ったことになったなあと考えているのです。

困った事態というのは、起きていることとは無関係に、私の心の中で発生した気持ちなのです。状況を判断して、裁いた結果ですね。

そこで、「起きていることに意味はない」を思い出して、意味づけしない状態でいる感覚を取り戻そうとしたのです。

つまり、イライラから中立の、ニュートラルの感覚へと気持ちを切り替えてみたのです。するとしばらくして、スルスルとクルマが動き出したのです。

見れば、大きなトラックが停車してただけで、そのクルマが脇道へ入ってしまったので、あっという間に踏切を抜け出すことができたのです。

私の勝手な想定ですが、もしも私が今まで通りの意味づけの中にハマったまま、イライラし続けていたなら、踏切渋滞はもっと長い間続いていたかもしれないなと。

「起きていることに意味はない」を思い出して、自分の内面を中立に戻し、波動を下げずにいれたおかげで、それに見合った現実がやってきたのだろうと。

何か不都合なことが起きたなと思ったら、このやり方いつでも使えるので是非試してみてください。初めは小さい出来事からでも構いません。

もしも結果が変わらないとしても、気持ちを中立の状態に戻せるだけでもいいですよね。とても生きることが楽になるはずですので。