全体性と一つになる

ここのところずっと毎日書くブログの内容が、続きもののようになってしまっています。きっと自分の中では、その内容が頭から離れずにあるからなのでしょうね。

ただ、読む立場からしたら、少し不便かもしれないですね。これまでの内容を覚えておいて読むなどということは、普通ないからです。

だから本当は、毎日独立した内容である方が都合がいいはずです。ということは分かっているのですが、残念ながら今日も昨日のブログの続き、あるいは発展型になりそうです。

昨日のブログでは、生まれた時からずっと自分と共にある感覚や刺激というのは、その存在に気づけなくなってしまうということを書きました。

それに気づくことこそが、本当の自分に気づくことになるのではないかと。なぜなら、本当の自分が自分から離れたり、消えてしまったりしたことは決してないと思うからです。

これをもっと具体的なレベルに落とし込んでみたのですが、そうすると一番自分にとって無理ない仮説として、あの全体性の感覚こそが本当の自分の感覚なのだろうと。

だとすると、その感覚をどういうわけか知っている自分が未だに自我まみれで暮らしているのはどういうわけなんだろうか?

多分、全体性の感覚を感じるその度合いが、それそのものの感覚に比べると1%にも満たないくらいに微かなものだからかもしれません。

それが正しいのなら、それをもっともっとストレートにドスンと感じることができれば、自我の重力圏から脱出できるような気もします。

それともう一つ、1日のうちのどれくらいの時間、その感覚を感じていられるかというのも大きな要素になってきそうです。

この二つのことをどうやったらクリアしていけるのか、これも自分で解決はできそうにないので未来の自分、あるいはハイヤーセルフにでも聞いてみようと思います。

そんなに都合よく教えてはもらえないはず、という否定的な信念をゴミ箱に捨ててしまえればいいのですが…。