思い切りノーテンキに

昨日のブログに書いたのですが、覚醒した未来の自分から言われた言葉は次の2点でした。一つは、自分はこのままではダメだという信念が覚醒を阻む。

もう一つは、目的意識が覚醒を阻む。よく考えてみると、この二つは同じことを言っているのですね。

このままではOKではないと信じているからこそ、未来に向けて目標とか目的が生まれるわけですから。

このままでOKということに気づくなら、目的意識もなくなってしまうことになります。ダメなものをダメじゃないものにするという考え自体、そこに純粋な悦びがあるわけではないということですね。

覚醒したいと願うことこそ、否定的な信念がその大元になっているということです。その願望が自然と消滅する時こそが、覚醒に至ることになるのかなと。

この話題にピッタンコなoshoの言葉がありましたので、味わってみてください。ちなみに、覚醒=エンライトメント=光明を得る、ですので。

ひとたび理解したら、いっさいの目標は消える。そしてそのすべての目標と共に、”あなた”が消滅する–。その後に残るのがエンライトンメントだ。目的はないと知ることが、すべてあるがままでよいと知ることが–光明を得るということだ。私たちはみな同じ現実に参加している。比較する必要はない。

なるほど、覚醒することを願望として掲ることこそが、否定的信念がある証拠だったわけで、それが違和感だったのですね。

そこへのフォーカスをやめて、人生を思い切りノーテンキに楽しむ系にした方がよほど覚醒に近づくことになりそうです。