私は「自我」ではない!

以前あるクライアントさんから、大澤さんのブログは「自我」と「意識」と「思考」の三つのキーワードがあれば大体書けちゃいますね、と言われたことがありました。

そう言われると、返す言葉が見つかりません。これらの単語は、私の頭の中の三種の神器?みたいなものでしょうか?

「自我というのは〜」みたいに使う場合はまだしも、単に、「私は〜」という代わりに「私という自我は〜」とか、「自我としての私は〜」という表現をすることが多いのです。

実は、単に「私は〜」という表現をすることに比べて、「自我」という単語を入れることには、ある明確なメリットがあるのです。

それは何だと思いますか?それは、自我と自分を同一化してしまっていることに気づく視点になるための作戦なのです。

あなたが「私は〜」と言うときには、必ず自我のことを指しているのです。そのことを、毎回気づいていただくためにも、わざわざ「自我」というキーワードを入れるのです。

そんなことを人知れず毎日のように繰り返していると、面白いもので、流石に自分の中に自我としての自分と、本質としての自分の二つの側面を同時に感じるようになるのです。

自我の部分が比較的穏やかで無防備な状態に近い時には、本質としての自分、つまりは純粋な意識の部分が明確になってきます。

逆に、気持ちが否定的な状態になったり焦っていたりすると、本質の自分は影に隠れ気味になって、自我が大手を振って表面化するのです。

大切なことは、そうしたどちらかというと自我が優勢な時でも、本質の自分を感じ続けていられることなのです。

それが、「信頼」をより深く育ててくれるのです。自我が信頼を感じるのか、それとも本質の自分と共にある信頼が、自我の側に滲み出てきてくれるのかは定かではありません。

何気ない毎日の生活の中でも、本当の自分は自我ではないということを忘れずにいられるようにできるといいですね。

P.S 以下の動画をアップしましたので、ご覧くださいね。