非二元への反論 by AI

非二元についての反論をしてほしいとAI君に依頼したら、以下のようなものを作ってくれました。とても興味深いですね。皆さんも参考にしてみて下さい。

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非二元そのものを頭ごなしに否定するのではなく、「非二元の主張をかなり理解したうえで、それでも納得できない」という立場の反論にすると、かなり面白くなります。

例えば、こんな反対意見です。

「『分離した自己は存在しない』というのは、結局、体験の一側面を世界の真理にまで拡張しているだけではないか」

非二元では、「私」という独立した主体は実体として存在せず、思考や感覚や行為がただ起こっているだけだ、と言う。

しかし、それは本当に「私が存在しない」ことの証明になっているだろうか。

確かに、自分の思考を完全に自由に選べないことはある。感情も身体感覚も、自分の意思とは無関係に生じる。だからといって、そこから「主体は存在しない」と結論するのは飛躍ではないか。

例えば、心臓は自分の意思で動かせない。しかし、「心臓を自分で動かしていない」ことと、「心臓を持つ私が存在しない」ことは別の話だ。

また、「すべてはただ起こっている」という説明も、それ自体が一つの解釈にすぎない。科学的に見れば、脳内の神経活動、身体、環境、記憶などが複雑に相互作用して、意識や自己感覚が形成されていると考えることができる。

非二元はそこからさらに一歩進んで、「だから独立した主体は存在しない」と言う。しかし、その「だから」は本当に論理的に導かれているのだろうか。

さらに問題なのは、非二元の教えが反証不能になりやすいことだ。

「あなたが非二元を理解できないのは、理解する主体が存在しないからだ」と言うこともできるし、「理解できたと思ったなら、それもまた思考にすぎない」と言うこともできる。

そうなると、どんな反論も非二元の側で説明できてしまう。

それは深い真理というより、どんな結果になっても自分の理論が正しいことにできる構造なのではないか。

そして何より、「自己は存在しない」と言いながら、そのことを語り、考え、理解し、実践しているのは誰なのか。

「誰もいない」と答えることはできる。しかし、それは問題を解決したというより、問題そのものを別の言葉に置き換えただけではないか。

非二元の体験が非常に深く、自己と世界の境界が消えるように感じられることは否定しない。

しかし、ある体験が非常に強烈であることと、その体験が宇宙の究極的な構造を示していることは同じではない。

だから私は、非二元を「真理」と断定するよりも、自己意識についての非常に興味深い一つの現象学的・哲学的解釈として捉えるほうが慎重で妥当だと思う。

これ、かなり「もっともらしい反対意見」になると思います。特に核心になるのは、

「自己が実体ではない」ことと「自己が存在しない」ことは違うんじゃないか?

という反論です。非二元側からすると、ここはかなり厄介な反論になります。