愛を求めるとは?

大抵の人が、幼い頃から「愛が足りない!」という思いを強く抱きしめて生きてきたのではないでしょうか。それは、具体的には親への不満や恐れなどです。

そうした満たされない思いが、大人になって様々な形となって現れてきます。例えば、被害者的な意識が強いままになったり、依存状態から抜け出られなくなったり。

一言で言えば、常に愛を求めて、愛を探して、誰かにたっぷりと愛を与えてもらいたいと願っているということです。

ところで、愛を求める気持ちについて、もう少し厳密に見つめてみるとそれが本当はどういうことなのかが分かってきます。

それは、愛を求めて、愛を手に入れてどうしようと思っているのか、そのことを考えてみれば一目瞭然であると言えます。

「愛を求める」とは、実のところ誰かに自分を守って欲しいという気持ちに他ならないのです。愛を求めて、それを手に入れて、何をしたいということではなくて、安心させてもらいたいのです。

人は自分のことを自分で守ろうとするのですが、それを司っているのがエゴであるわけですが、そのエゴが自分だけでは足りなくて、誰かに自分を安全な状態に守って欲しいと訴えているだけなのです。

したがって、愛を求めているというのは本当は全くの出鱈目だったのです。愛など求めてはいません、そうではなくて安心を手に入れようと躍起になっていただけなのです。

愛のことが分からないのに、愛を求めるはずがありません。本来、愛とは求めることなどできないものです。愛は与えるためにのみ使うことの出来るものだからです。

自分を愛してくれる人を求めているという場合もありますが、これも本当は見当違いの表現です。実際には、自分の願いを叶えてくれる人を求めているに過ぎないからです。

愛を求めていると信じている人は、愛についてほとんど理解できていない可能性がありますね。勿論、真の愛は神の領域なので、誰にも本当には理解などできないものです。

しかし、その真実の愛を妨げているものを取り去る方法を学ぶことだけはできます。奇跡のコースで教えてくれているのは、まさにそのことなのです。

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