やはり自分は消えるのか?

今まで、頭ではこの自分が一番邪魔なのだということを理解していたつもりだったのですが、それはただの考えだったということが分かりました。

それというのも、いざ本当にその感覚がやってきたら、何だかものすごい行き詰まり感を感じてしまったからです。

そんなことは、自己探求の最も初期の段階から分かりきっていた事だったはずなのに、やはり気づくということは理解とは違うもののようです。

自分が自分であると認識している、気づいているこの私を弱体化していくことでしか、覚醒することはできないとは、何たる自己矛盾なのか。

明け渡すとはそういうことだったのかと、納得するというのか。自分でも今更だなあとつくづく思うのですが…。

明け渡しているということが、その状態にあるということを卒業するときにこそ、本当の明け渡しがやってきて、そして明け渡している主体は消滅するということです。

従って、それはもう明け渡しではなくなるのです。明け渡す瞬間とは、自分はいつ死んでもいいと思えるようになるということかもしれません。

それは、もう少しだけこの世界を楽しんでからとか、やり残したことを終わりにしてからとか、そういうことを一切なくした状態なわけです。

「私」は今この瞬間をまったく知らないとしか言えないし、自分が過去と未来にのみ生きてきたということも認めざるを得ないのは、何とも残念なのです。

こういった感傷的な気分は、純粋な意識に注意を向けるとあっという間に消えてしまいますが、それでもやはりまたしぶとくやってきます。

「私」が完全に満たされることはないと分かっても、やはりこの「私」はこの「私」のままで存続していたいと素直に思っているようです。

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