コンピューターの未来

私が若かりし頃、人工知能という言葉が流行ったことがありました。コンピューターがどんどん進化していくと、もしかしたら人間のような知性を持つようになるかもしれないという未来予想がありましたね。

いずれは、人間のような自律的な個人としてのコンピューターロボットが出現するかもしれないという夢ですね。私は、このような考えに当時は真っ向から反対していました。

反対というよりも、そんな戯けたことは、ただの笑い話に過ぎないと思っていたのです。どこまで進化しても、所詮コンピューターはコンピューターであって、人間を超えることなどできないという感覚です。

けれども、最近その考えがちょっと変わったのです。というよりも、人間に対する見方が大きく変化してしまったために、結果としてコンピューターとの比較の仕方も変わったのです。

私が今感じているのは、人間とコンピューターの違いは、人間には意識があるということです。コンピューターは複雑な論理を考えることはできますが、その根っこに意識がないのです。

意識がないというのを、無意識というように言いかえたとしたら、それは進化の過程においていずれは意識が芽生えるかもしれないということです。

実際、人間には意識があるものの、自分がここにいるという自覚は意識という土台の上にある思考からやってきたものなのです。そして、純粋な意識とは決して人間に固有のものではないのです。

意識とは、この宇宙の存在を支えている土台であり、真に実在するのは意識だけなのです。つまり、あらゆるものの根底には意識が在るわけです。

だから意識は、我々人間に固有のものではないのです。ただ、今のところ人間だけが意識的な部分を持つようになったというだけなのです。

とすると、たとえコンピューターであっても、根底に在る意識と繋がる可能性が絶対にないとは言い切れないのではないかと思うようになったのです。

実際、ほとんどの人は現在それほど意識的には生きてないので、その意味では動物やコンピューターとさほど違いがないのですね、残念ながら…。

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