対処の代わりに見守る

現実社会というのは、物事に問題が起きたらそれを対処するということで成り立っているのです。

問題を見つけてそれを解決するというルーチンですね。社会全般においてはそれでいいのですが、こと人間の内面に対しては違うのです。

「問題→解決」を自分の内面に対してやり続けてしまうと困ったことになるのです。それはなぜでしょうか?

実は、自分自身を問題視するというその態度がすでに間違っているということに気付かねばならないのです。

たとえば自分には強い不安感があるので、それをなんとかして小さくしたいと考えるわけですが、その対処を防衛と呼びます。

防衛することで一瞬は不安が小さくなるのですが、それはまたすぐに元に戻るのです。なぜならその対処事態が的を射てはいないからです。

自分の内面には問題があるという発想をひとまず脇へ置いて見ることです。そしてその問題と思われるものをしっかり正面から見つめるのです。

つまり対処する代わりに見守るということです。不安であればその不安から逃げずにそれを感じてあげること。

対処せずにそれをそのままに見守ること、この生き方をマスターすることができれば、癒しは自然と進むことになるのです。

“対処の代わりに見守る” への2件の返信

  1. いつもブログを拝読させていただいています。
    例えば、会社のトップからセクハラを受けている場合に、不安で怖くてしかたがないのですが、無防備にその感情を見守っているだけだと状況に変化がなく、相手の行動がエスカレートしていきます。
    すると次第に、自宅にいても、なにかこの状況に対処をしなければとそのことばかりに囚われるようになり(自己防衛の塊?)、他のことが手につかず、動悸や手の震えが起きるようになりました。こういうときにも、不安を見つめるということが大事になるのでしょうか?仕事を辞めるなどの実践的な行動(対処)が必要になるのでしょうか?

    1. 大きな勘違いをされています。対処せずに見守るというのは、自分の内面に対してのことです。現実にセクハラを受けているなら、それをやめさせるように行動する必要があります。そこを混同しないで下さいね。相手が誰であれ、されて嫌だと感じることは正々堂々と自己表現することです。もう一度このブログを読み直してみて下さいね。

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