深刻さは自我の餌

自分自身のことや自分の身に起きることを、とかく深刻に捉えてしまう人がいるものです。それは一体どこからやってくるのか?

もちろんのこと、それは本人の不安が大きくてそれを何とかしようとして余裕のない状態になることが原因なのです。

余裕がなくなると、視野が狭くなって自分の思い込みの世界へと没入して、そこから抜け出せなくなってしまうのです。

そうなると深刻さは当然の帰結としてやってくるのですね。同じことが起きてもそれほど深刻にならずに済ませることができる人もいます。

深刻になったところで、何も利点がないことに気づいていれば、深刻になることが馬鹿馬鹿しくなるのです。

その最も極端な例は達観するということです。問題らしきものが起きて、そこから距離ゼロのところであたふたしている自分から距離を取れるということです。

達観することができると、物事を物語として見れるようになるのです。そこには深刻さは微塵もありません。

昨日のブログでも書いたように、海面でのドタバタ劇を深海で見守る境地、これが達観するということです。

深刻にならずにいられるようになると、自我は困ってそのエネルギー(活力)が奪われていくことにも気付けるといいですね。

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