在ることと成ること

ただ存在するということ、それにはどんな思考も関与する余地がありません。シンプル過ぎて思考を働かすことができないからです。

だからもしも思考が止まらなくて困るということであれば、この世界の存在に意識を向けておけばいいのです。

存在に対しては、判断も批判も裁きも何もできないのです。そのため思考で出来ている自我にとっては、存在は認識しづらいのです。

興味を持てないと言ってもいいかもしれません。一方、成ることに関しては自我は非常に興味津々なのです。

誰もが成ることに向けて、人生を走り抜けて死ぬのです。赤ちゃんとして生まれ、幼稚園児に成り、小学生、中学生に成り、大人に成って、社会人に成って、親に成って…という具合に延々と続くのです。

自我はずっとそこだけを注視しているのです。成ることは物事の表層でしかないのですが、思考はそこだけしか見えないのですから仕方ないですね。

もう十分に成ることを見てきたので、物事の本質である在ることにチューニングを合わせてみてはどうでしょうか?

そうすると、この世界はとてもシンプルだということに気づくはずです。ただ在るだけで十分なのだという感覚もやってくるはずです。

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