自我の立場とそれを見守る立場

知り合いの人で70歳を優に過ぎているのに、これから新規にビジネスを立ち上げようと計画している人がいます。

幾つになっても挑戦し続ける人生って素晴らしいですね、というのがそれを聞いた時の私の口から思わず出た言葉です。

その言葉には嘘偽りはありません。私たち人間には、常に目標のようなものが必要であって、それがなくなってしまうと精神的に病んでしまったり、急に老け込んだりする可能性だってあるからです。

ところが一方では、以下のようなoshoの言葉にもあるように、自我を見つめる側に立てば全く言うことが変わってしまうのです。

『もし自然に逆らったら、あなたの自我は強まるだろう。それがチャレンジというものだ。人々が挑戦を好むのはそのせいだ。

挑戦のない人生は退屈なものになってしまう。自我が空腹を感じるからだ。自我は食べ物を必要とする。挑戦がその食べ物を供給する。そこで人々は挑戦を求める。』

つまり人が挑戦することの是非は別として、その理由は明確に自我にとって必要なことだと言っているのです。

こんな感じでいつも自分の中に自我の立場からの物事の見方と、自我を見守る側からの見方とがあって、それらは共存しているのです。

社会がそうだからというのではなく、100%自分の内側の状態がそうなっているということです。この二重生活は今後もずっと続きそうです。 

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