これまでの20年以上に渡る長いセラピスト人生の中で、いわゆる宗教にハマって不自由な人生を余儀なくされた多くのクライアントさんとお会いしてきました。
適当に宗教と付き合っているならまだいいのですが、真面目に信心深く、信仰心の塊のような人ほど苦しんでしまうのです。
なぜなら、これさえ信じていれば絶対に幸せになれると思い、のめり込めば込むほど苦しみがやってきて、それを自分の信心が足りないせいだと思い込んでしまうからです。
政治家と同じように、宗教家も最初はもしかしたら志高く始めたことなのかもしれませんが、ひとたび権力を握ってしまうと人は変わり果ててしまうのです。
飛んで火に入る夏の虫のように、苦しんで何かにすがるような気持ちで生きている人ほど、そういった権力者と出会ってしまうのです。
そして、他人の言うことを盲目的に信じてしまうことで、自らを奴隷のようにしてしまうのですが、はまり込んでしまったものは、簡単には抜け出すことが難しくなってしまうのです。
何かを信じることは、目を閉じることと同じだと気づく必要があるのですが、理屈を超えてその人が大切なことに気づく時がいずれはやってくるものです。
そして、本来の自分のままで生きることの清々しさに気づけた時点で、それまでのあらゆる苦渋の体験を、誰かのために有効活用できるかもしれないのです。
人生には、いらない体験など一つもないということ。全てはありのままの自分自身に戻るための貴重な布石だったということです。
以下のoshoの言葉も身に染みますね。
「ひとつしっかり理解すべきことがある–信仰よりも自殺的な行為はないということだ。私はこれをあなたに言いたい。ひとつ是非とも理解することだ–信じること、盲信すること、目を閉じて黙々と受け容れることこそ、これまであなたの生が不自由であった根本的な原因だと。」