感情が感情を抑圧する

昔から、「泣く子も黙る」という言葉がありますね。ネットで意味を調べてみると、「わがままを言って泣いている子供も泣くのをやめるほど,恐ろしい存在であることのたとえ。」とあります。

つまり、何か気に入らないという怒りの感情などで泣いていた子が、何かの恐怖によってその怒りの感情が抑えられてしまうことがあるということです。

元々怖いという感情は、動物的な防衛本能によって生み出されるものであるため、生命の存続がかかっているわけですから、それ以外の何よりも優先されるという性質を持っているのです。

だから、怒りよりも恐怖が優先されるために、それまで表面化していた怒りが恐怖によって抑え込まれるのです。怒りながら、大きな恐怖を感じるということはなかなか難しいわけです。

怒りだけではなく、淋しさ、つまり孤独感でも、悲しみであっても、とりあえず恐怖の前ではすべて影を潜めてしまいます。それだけ、恐怖は最優先されるものなのですね。

また怒りを抑圧してしまう可能性のある感情は、恐怖だけではありません。例えば、罪悪感をイメージしてみて下さい。どれほど、相手に怒りを感じていたとしても、自分が悪かったと感じたら、その怒りは萎えてしまうでしょう。

罪悪感、自己嫌悪感、自己否定感、どれも自分を責める感情ですが、怒りを抑圧してしまう力を持っています。そしてもう一つ、怒りを抑圧する感情があります。

それは、感情というよりも気持ちと言った方がいいのですが、「可哀想」という思いが強くなると、その可哀想な相手に向かっていた怒りはやはり抑え込まれるのです。

私たちは、可哀想な相手を攻撃することはできません。この「可哀想」という気持ちは、実は罪悪感と奥でリンクしているのです。可哀想な相手を救ってあげられない自分への罪悪感です。

だからこそ、罪悪感が怒りを抑えるのと同様の効果が可哀想という気持ちにもあるわけです。癒しにとって大切なことは、どんな感情であろうとそれを丸ごと見て、無防備に感じきるということです。

強い恐怖感や罪悪感が心の中に残っていると、それ以外の感情を感じにくいようにされてしまうため、まんべんなく感情を味わうことが難しくなる傾向があるのです。

そうしたことを知りつつ、なるべくあらゆる感情をありのままに感じてあげられるように、工夫することが大切です。とくに、多くの人から嫌われている「怒り」は、じっくりと腰を据えて見てあげられるといいと思います。

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