どんな深淵な質問も源泉からやってくる

私はずっと子供の頃からいわゆる質問魔でした。勿論、聞いても分からないだろうと思われる人には、わざわざ聞かないのですが、知っていそうな人を見つけるとしつこく質問をしていました。

その傾向は大人になっても、あまり変わらずにいたのですが、ある時自分が本当に知りたいことを知っている人っていないんだろうなと気づいてしまったのです。

それからは、逆に質問をすることが減ってしまいました。それでも、心の中では自問自答をし続けていたのです。分からないことがあると、それを問い詰めるクセは依然として残っていたからです。

けれども、自己探求を始めたときから、質問の内容よりも質問をして答えを欲しがっている自分を見てあげるようになったのです。

誰にも答えられないような質問がやってきたとき、それを解明しようとするよりも、その質問はどこからくるのかということ、誰がその質問をしているのかを見るようになったのです。

そうすると、質問に答えるということにエネルギーを使う必要がないということが分かったのです。どんな質問も、それに対するどんな回答も、すべてが思考の中でのことだということを忘れなくなったのです。

真理にまつわる質問こそが、自分が知りたいと思っていたことであると同時に、そうだからこそその質問に対する答えはどこにもないということと、本当は質問している誰もいないということを知ったのです。

質問をしているのは、私でもあなたでもなく、その質問は源泉から思考の形でやってきて現象化しているものに過ぎません。答えが欲しいという欲求も源泉からやってくる現象なのです。

そこが科学の限界でもあるのです。科学は、私たちが宇宙について知りたいことを探求して、答えを導き出すということを引き受けてくれたのですが、それはやはり思考の産物だったということです。

あなたの本質は思考の中にあるのではなく、思考を生み出す源泉なのですから、質問をしている誰もいないというのは当然のことですね。

どうしても知りたいという真理にまつわる質問がやってきたら、すかさず思考から抜け出してただここに在るということに意識を向ければいいのです。それだけで、すべてが完璧になってしまいます。

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