期待がなければ救われる

あなたが仮にオリンピック選手だとして、金メダルを獲ることを期待されるのと、参加することに意義があると言われるのとどちらを選ぶでしょうか?

それは勿論金メダルを獲れる選手だと期待される方がいいに決まっていますよね。誰だってより上位の成績を期待されたいのですから。

あなたが子供の時に、ご両親から何も期待していないと言われるよりも、期待してるからねと言われる方が嬉しいはずですね。

つまり、人は期待することや期待されることに肯定的なイメージを持っているのです。誰にも期待されなくなったらおしまいだと思っているのです。

けれども実は愛というのは一切の期待がありません。なぜなら愛は未来には関心がないからです。今この瞬間に対して、期待するということは不可能だからです。

じゃあ期待というのは一体何なのか?それはズバリ、防衛なのです。自分自身や相手に期待することで、安心を得ようとしているのです。

愛とは無防備のことなので、期待することがないわけです。とはいうものの、自我というのは期待をなくしたらこれまた生きてはいけません。

だからそこそこの期待を持つのは構わないのですが、期待値を高くしているととても生きづらい人生がやってきます。

自分への期待値が高過ぎれば、人生は戦いになるし、惨めさがいつもつきまとうことになるはずです。

そして他人に対する期待値が高ければ、依存が強くなって不満ばかりが募り、これまた不自由な人生になってしまうのです。

一度あなたの期待値を細かく調査してみるといいかもしれませんね。期待がなくなったとき、本当に救われるはずだからです。

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