自我はいつも忙しい

世の中には、常に多忙にしている人がいるし、逆に暇を持て余している人もいます。その中くらいに丁度頃合いのいい人もいますね。

ところが自我というのはどれも共通して忙しくしています。それは物理的に活動的かどうかということとは違うのです。

自我の目的の一つは自分がより幸せな人生を生きるようになることですね。場合によっては、他人も幸せになることを望んでいたりします。

それともう一つ大きな自我の目的があるのですが、それは自分の存在証明をし続ける必要があるということです。

どの自我も共通して忙しいのは、この後者が理由なのです。忙しいというよりも気を休めることができずにいると言った方がいいかもしれません。

ボヤボヤしていると自分がいるということが曖昧になってしまうことを知っているのです。

自我が求めている特別な自分というのは、ここからきています。特別であることで自分の存在を明確にしようとするのです。

だから逆に言えば、普通であることがとても難しいのです。普通では自分の輪郭が消えていってしまいそうで怖いのでしょうね。

そして特別であるためには、手段を問いません。特別に価値があるとか、特別に希少な難病になるといったこともあるのです。

そうまでして自分の存在証明をしたいのは、自我が実在するものではないとどこかで気付いているからに違いありません。

自分という個人がいなくてもいいとなったら、すべての防衛や緊張から解放されてしまうでしょうね。

その時になって初めて、ずっと求めていた幸せな人生を遥かに超えた至福がやってくることになるのですね。

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