自己否定を受容する

昨日のブログでは、自我を見守るというお話をしました。自我を見守る立場になることで、自我から離れて自我が持っているあらゆる苦悩から解放されるのです。

より具体的に言えば、世界で一番身近なこの自我の思い、気持ち、感情、その他の全てをつぶさに見るのです。

その嫉妬深さをみるのです。その愛嬌のなさ、その惨めさ、その意地汚さ、それが離そうとしない憎しみ、だらしなさ、くだらなさ、不機嫌さ等々。

そういったものをしっかりと見守るのです。特に自我がやっている自己否定、自己嫌悪、自分いじめ、そういったものを見守るのです。

これが一番重要かなと思っています。とにかく自我というのは、そういった否定的な部分がこれでもかとてんこ盛りなのです。

それはどうしようもないものと理解することで、ただ見守ることができるようになるはずです。

逆に、肯定的な部分や誇らしい部分もそれなりにあるのですが、それを褒めることはしません。それもただ見守るのです。

自我からの超越は、自我をどのようにも判断せず、裁かず、肯定も否定もせず、賛成も反対もせずに、ただ見守ることですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です