我慢強さに価値を置かない

私が子供の頃には「我慢比べ」と言うのがありました。どれだけ息を止められるかとか、鉄棒にブラ下がっていられる時間を競う等々。

子供の頃に我慢をさせると、強い子になるという考えが社会全体にあったのかも知れません。今でも我慢強いことは良いことだと思われています。

社会全体がそのように考えているのですから、子供もそのように自然と考えるようになっても不思議ではありません。

もしもその生育環境が心地良いものではなければ、あるいは何かと我慢を強制させられるような環境であれば、自動的に我慢強い子供が出来上がります。

そしてその子自身も、自分には人一倍我慢することができるという誇らしい才能があると考えて、それこそが自分の価値だと思うようになるのです。

そうなると、できるだけ苦しい人生を求めるようになるのです。自分の価値を最大限高めるためには、その苦しみを我慢すればいいと思うからです。

そうなったらその人の人生は過酷なものになってしまうはずです。なぜ自分ばかりが辛い人生を生きなければならないのかと人生を恨むことになるかも知れません。

まずは我慢強いことは尊いことではないと理解することです。我慢強ければ、それだけ戦いの人生を送る可能性も高くなってしまうのです。

逆に我慢弱い人の方がすぐに諦めて降参することになるので、結果として戦いのない平和な人生になるのです。

とにかく我慢強さに価値を置くことをやめることです。そんなことよりも、自然かどうか、自由かどうかと言うことを意識して生きることですね。

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