自分の本質の感覚を手に入れようとするなら、少しだけコツが必要かも知れません。慣れてしまった人の場合はともかく、慣れてないうちは少しずつ近づくしかありません。
それは、兎にも角にも自我を鎮めること。自我は表面を覆っているだけのものでしかないのですが、それが暴れてしまえば1cm奥に戻ることも難しくなってしまうのです。
だからまずは、地道なことではあるのですが、自我の興奮を落としていくこと。楽しいことや愉快なこと、あるいは心配事などから一時的に離れるのです。
それにはほんの少しの決意が必要かも知れません。なぜなら、自我はどんな興奮も自分から手放そうとは考えないものだからです。
それでも何とかなだめすかして、自我を無言の状態にしていくのです。あるいは、自我だって自分の本質を知りたいという欲望があるので、それを利用するのもいいと思います。
そして、ゆっくりと自我から離れていって、静寂の方へと近づいていくようにするのです。初めは、ここでへこたれてしまうかも知れません。
それよりも先などないと感じるからです。けれども、もう少し、もう少しとジリジリより深くへと入っていくと、また感覚が変わってくるのです。
ここで一切の見ることを放棄するのです。目を閉じていても開いていても、何も見ない。というよりも、見ることや見ないことから離れるのです。
そしてどこまでもどこまでも際限なく中心へと向かいながら、中心そのものも消えていくようになるかも知れません。
ただの背景のような感覚がやってくるかも知れません。その先は、もう何も…