死のプロセスを見守れるか?

私たちは、自分の1秒と他人の1秒が違うなどということを考えたこともないし、そんなことはあり得ないと信じて疑わないのです。

時間というのは、普遍的なもので誰にとっても同じように流れているものだという信念を持っているからです。

ところが、100年も前に相対性理論の中でアインシュタインは、高速で移動すると、停止している人よりも時間の進み方が遅くなるということを証明したのです。

このように私たちの信念、常識は無惨にも見事に覆されてきたのです。それは物理学の進歩とともに、これからもいくらでも起きてくることだと言えます。

それと同じようにして、他人から見える私の姿と、自分自身から見える自分の姿とは似ても似つかないものなのです。

と言ったところで、ほとんどの人がその意味を理解することはできないはず。なぜなら、鏡に映った自分の姿が、そのまま自分の本当の姿だと信じて疑わないのですから。

それが酷い思い込みでしかないということに、死ぬまでに気づけるかどうか。私の場合は運よく気づくことができたのです。

けれども、それはどうということはないのです。本当に大切なことは、それをずっと維持していくことなのです。それがとても難しい。

すぐに鏡の中の自分、他人が見ている自分の姿こそが本当の自分なのだという思い込みの世界へと戻されてしまうからです。

自我としての自分、他人から見られる自分が死にゆく時に、そのプロセス全体に対して、高みの見物をしていられるかどうか。

それこそが、真の自己を忘れずにいられるかどうかにかかっているのですが、正直言ってあまり自信がないですね。