自我は執念深い

osho がよく言っていたことですが、現在というのは時間の一部ではないということ。現在は永遠の一部だということですね。

私たちは常に時間の流れの中で過ごしていると感じています。ということは、現在という永遠を見失い続けているのです。

人生物語は時間の流れの中にしか見つけることはできません。あなたがマインド(自我)から生きていれば、必然的にそういうことになるのです。

独り静かにいて十分に意識的であると、時間の流れから解放されてずっと継続する現在にとどまることができる感じはするのです。

けれども、一度誰かがやってきたり何かが起きると、私のマインドが一瞬にして立ち上がって、物事を支配し始めてしまうのです。

私の自我は時間の中にしか生きられないので、現在の中にくつろいでいる間も戻って来れるチャンスを伺っているのでしょうね。

そして戻ってきたら、現在のことを忘れてしまえとばかりに、過去や未来のことばかりを考え始めるのです。

こうしたことの繰り返しが続いていて、何が起きても自我に戻らずにいられるなんてことを、想像することも難しいですね。

聞いた話しですが、数十年もヒマラヤの洞窟で瞑想をしていた人が、もう自我に戻ることはないだろうと思って、下界に降りた瞬間に自我が活躍し出してしまったらしいです。

自我の執念深さは尋常ではないですね。